吉田神社 節分会 03.2.2



小雪がちらつく寒い日でしたが日曜日でもあり、物凄い人出で前に進むのも大変でした。下の写真は
大元宮と本殿の間にいましたので空いていたのですが、鬼が通り過ぎた後は身動きも出来ないほどの
混雑でした。吉田神社の節分会は、人や屋台の数も群を抜いていて面白いです。

大元宮の横の方相氏で、アッチコッチにお賽銭が置かれています。
吉田神社の節分祭の前夜に行われる追儺式では、境内を暴れまわる赤・青・黄の三匹の鬼を、
四ツ目の形相をした方相氏が散々に追いまわして弱らせ、最後に勅使役の上卿の三本の
矢で退散させるという古来からの伝統行事です。



菓祖神社 ここは無料で豆茶とお菓子の接待を
受けられるので、是非寄る所です。

何時もこの年越そばを見て不思議な気分になります。



大元宮の奥に伊勢神宮の外宮・内宮があります
慶長6年(1601)建立の重要文化財大元宮本殿は、八角形の
平面を持つ入母屋造りに、六角形の後房を付した複雑な構造
で、その棟上の千木、堅魚木と共に他に類例を見ない珍しい
建築である。この本殿を取り巻くように連なり並ぶ社殿には、
全国3132座に及ぶ延喜式内の神々が祭られている。
この吉田山(神楽岡)が、平安京建設の際に、その位置を決定
する基準点になったことを忘れるわけにはいかない。
東西約4.5キロメートル、南北約5.3キロメートルに及ぶ広大な
長方形の中に縦横に交差する直線街路を並列させた平安京は、
その東西方向の基本線を、ここ吉田山と真西に位置する右京区
の双ヶ丘を結ぶラインとし、南北方向は、北区にある船岡山から
遥か南方にある京田辺市の甘南備山を結ぶ線に求めて設計
されたのであった。前者の東西線は一条通り、後者の南北
方向基本線は朱雀大路(現千本通り)である。 それぞれの
山、丘陵の標高は低いが、千年の古都平安京の生みの親
というべき大きな役割を担ったのであった。 
 
     八百萬の神集う岡ー若原英壱ー引用

須賀神社
吉田神社の節分会に行くと必ず寄るのが、
須賀神社と聖護院です。

須賀神社の焚き火で冷えきった身体を
暖まるのが目的なのですが、
近年、ここの懸想文売りが縁結びで有名になって、
若い女性が多く来るようになったそうです。


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